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最近読んだ本 W・H・マクニール「世界史」


今更ですけど読みました。

星★★★★☆四つ

「世界史は合理性と列伝で出来ている」とは僕の言葉である。


世界の歴史は、つまり人間の歴史である。人間の集団と、人間個人がすることなんて、たかだか数千年の目線では大して変わらないものである。人間が集団に属し、集団の中でどのように振る舞い、その結果、その集団がどのような出来事をやらかしたのか。そんな風に歴史を追って行けば、自分の身の回りで誰かがやらかしている出来事とあまりかわらないんだ、ってことがよくわかる。
傍目には非合理的に動いているような組織でも、その中では何らかの合理性があったり、その合理性と別の合理性がぶつかって何か争いごとが起こったり、とかそういう話。


もう1つ、列伝というのは、そんな組織の中に属する人間で居ながら、何か突き抜けた物を持ってしまったか何かの理由で、とんでもない事をしでかしてしまった人間の行動のことである。組織の合理性を異常なほど早く進めたり、あるいは合理性を吹っ飛ばして非合理的な道へまっしぐらと進んで行ったり、割と歴史の特異点においては、それを引き起こしたとんでもない人間、ってのがいる。そいつが何を道考えどんな事をしでかしたのかを追っかけっていくことでもまた、歴史ってのがなんだか見えてくるとかなんとか。

ちょと脱線するけど、聖書でもイーリアスでもなんでもいいんだけど、列伝っぽい本って大体盛られてて事実でない部分がたくさんあるように見える。でもそれって何かしら一定の本当に起きた出来事をもとにして盛ってる話なんだろうな、って推測はできる。身近にすごいサンプルがいて、それは「全盛期のイチロー伝説」である。全盛期のイチローは当然5打席して8安打はしてないんだけど、「ああ、イチローならやってくれそう」っと思わせてくれるだけの特異性が彼にはあって、やがて僕らが死に絶えてずっとずっと後の世代になったとき、「全盛期のイチロー伝説」だけが残ったら、それはもう歴史上の列伝である。そんな風にして歴史が作られて行ったんだろうな、と思いを馳せる事もまた、僕が人間だからであり、世界史が人間の歴史だからなのでしょうよ。


で、この「世界史」
これは素晴らしいと思いますよ。その意味では「人間が、どうして、どんな合理性を持ってここまで発展してこれたか」をひたすらに追求している。普通の歴史の教科書にかいているような出来事ドリブンな記述「○○が起きて、そのあと誰それがナントカ事件を起こして、そのあと同盟を組んで、、、」の後ろにある「何故それが起きるのか、それは人間の集団のどのような要望がベースとなっているのか。その動きがそのときの集団にもたらされた物は何で、結果として次に何を求め、別の出来事につながっていったか」というような形での記述になっている。

これはもう人類の長い歴史をたどるスペクタクルロマンであって、下手な映画を見るよりよっぽど鮮やかに文明の立ち上がりが見えてくる、西欧の停滞が、中国で産業革命が起きなかった理由が、近代の技術革新の活気が、ホント色鮮やかに、個人とその集団の息づかいが聞こえるように見えてくるのです。

この合理性の世界では、個人の出現も一定の集団の要望の中で出てくる、って考えがちょっとだけ僕の捉え方と違ってて物足りないけど、別にそんなことはどうでもいいぐらい良い出来です。
いや〜これ高校生の時に読まないでよかったわ〜。これもし読んでたら、自分なりに歴史をどのようにとらえるかを真剣に悩んだりせず、「ああ、あの本に書いてあるように解釈しよう」という風になったに違いないもん。


というわけで、歴史に漫然と興味があるかたは、読んでみる事をお勧めします。とはいえ、何千年の歴史をたかだか文庫本2冊でトレースする訳ですから、一定のダルさみたいなのは読んでて感じられると思う。「歴史を俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ俯瞰するぞ」みたいな強い覚悟が無いと途中でめげてしまうかもしれませんね。読みたいところだけ読むでもいいかもしれません。その点で星1つおとす。