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人間交差点レビュー第2話「海の時間」

人間、印象に残る思い出というものは、中々忘れないものである。それも2〜3年とか、5年とかのスパンではなく、10年、20年と忘れられない位強烈な思い出、というのも結構あるものだ。

10代の頃なんて、せいぜい印象に残る思い出なんて5年だったり、長くて10年ぐらいであろう。それは、何年か経てば忘れるようなもんかな、って当時の僕も思っていたのだ。しかし、、ずっと忘れないのだ。忘れない期間が、20年にもなり、おそらく30年にもなるのだ。それは、僕自身が年を取ることでうっすらと感じられるようになって来た事である。きっと、そうやってよぼよぼになって、昨日の事は忘れても、何十年前の事を嬉々として語るようなおじいちゃんになっていくのだろう。全ては、未来の自分の姿だ。


そして、そんな忘れられない思い出が、どんな内容のものであるかは、人それぞれである。自分に取っては忘れられない思い出となるような体験であっても、その別の当事者から見れば、次の日には忘れてしまうような、些細なことだったりするものなんである。ちょっと褒められて喜んだ経験、何かしらの恥ずかしい経験、そして愛した人の事。その思い出は、覚えている本人だけのものなのである。


人間交差点第2話「海の時間」はそういう話である。


ある寂れた港町の旅館の女中節子は、宿泊客である小説家の外村を相手に”お付き合い”をした。それは節子にとっては、初めて取った客であった。しかし、一夜を智にしていながら、

「あの人は気づいてくれなかった」

そう、その外村こそ節子が昔愛して、捨てられた男であり、彼の事を忘れる為にその寂れた港町に来て、女中として働き始めたのだった。
それから10年が経ち、彼女の目の前に再びその男が現れた。そのとき、彼女は今までした事の無かった事をした。彼を客として取ったのだ。

旅館の女将さんは、そんな節子に「どうしてそんな男と寝たのか」と問いつめる。節子は
「私も お前の事なんか忘れてるってッ・・・・そう思いたかったんです。
抱かれながら、お前が私をすっかり忘れているように、私もお前を忘れているぞ、稲野私に取っちゃ、男なんて皆ただの客だぞって・・・
心の中で笑ってやろうと思ったんです」
と答える。

しかし、笑う事は出来なかった。

「男と女ってなんなんでしょうね」と節子は物憂げにつぶやく。


外村が小節の取材旅行を終えて帰途につく時、節子はある思い出の品を身につけて彼と何気ない会話をする。そして最後に彼は気づくのだ「もしかして君は・・・・」
しかし、時既に遅く、船は出発していた。節子は毅然と「いいえ、人違いです」と答える。

外村が水平線に消えて行った後、節子はその思い出の品を海に捨て、港町を離れる決意をする。ようやく彼の事を忘れる事が出来、そしてそれを笑う事ができるようになったのだ。



この話はまさに、「自分自身が忘れられない思い出は、いつまでも忘れられないものだ」「そしてその思い出を、その相手の人間は得てして忘れているものだ」ということの、自分と相手の圧倒的な差を感じずにはいられない話である。辛い思い出を持っていると、幸せになれないのかもしれない。

若い頃は、ただの情愛で結びついたただの男と女であった。しかし、その二人はある時捨てた男と捨てられた女に変わる。その思いと、10年の歳月。10年の歳月は2人を変える。思いだけでなく、社会での立ち位置も。辛い思い出を持った人間が、つらい立場にたち、忘れた方はのほほんと地位を得たりする。そういう対比を嫌が応にも思い起こさせるのだ。


この話は、節子が港町を離れる所で終わっているが、私はその後の事を考えずにはいられない。節子はおよそ30歳前、というところであろうか。当時の価値基準であれば、もう1つの人生を終えて、「第二の人生」を迎えるような年齢である。それでも、一つの辛い思い出を、相手にも味合わせて昇華出来た彼女の次の人生の幸福を願わずにはいられなくなってしまう、そういう話でもあった。