副業始めるヒマがあるならその分本業に注力したほうがいいですよ

何故なら副業をやるよりも本業をさらにやったほうが稼げる可能性が高いからです。
以下書いてある事まとめ
・会社員の給与は、思っているほどスタティックなものではなく、結構変動するものである
・ゼロから副業やるより、今の仕事で上積みを狙い給与取りに行った方がきっとお得
・とはいえ人の考えはいろいろなので各自のやり方で頑張れ!(投げやり)



収入は変わる世の中

ある経営者の方が、こんな事を言っていました。いくつかの会社を渡り歩き、いわゆる経営の専門職という奴ですね。
「あのね、企業ごとの平均年収というものがあるじゃん。あれはね、何の意味もない数字なんだよ。平均年収に沿って個々の従業員の給与設計がなされているわけじゃない。どうしてもいて欲しい社員にたくさん給与を払い、そうでない人にはそれなりの給与を払う。その積み重ねた結果が平均収入って形に表れているだけ。経営者から見えるのは、どうしてもいて欲しい社員と、そうでない社員がいるだけなんだ」


例えばこんな話。
正社員の平均年収442万円 「40~50代の年収減少」さらに顕著に
https://news.careerconnection.jp/?p=4872
トータルでも数字が落ちていて、世代別にみると40-50が顕著とはいえ20、30代も下がっているわけで、まぁその人口オーナス説やら、国際競争力の低下とかいろいろ要因はあったりするんでしょうが、こればっかりは個々人のレベルではどうにもポイントは以下のこの部分じゃないかと。

また、40~50代の年収が下がる一方で、年齢に関係なく経験やスキルに応じた給与で募集を行う「実力主義」の求人が増えているという。


今まで、年功序列でどんな人でも給与をガンガン上げていたのが、その制度がある意味”崩壊”をしたことで、年がいっていても優遇はされず下がり、代わりに会社にとって必要な人に年齢関係なく給与を払うようになった、と。一部の必要な人に優遇が絞られ、そうでない人が増えて全体の平均は下がる、そんな構図。
これを「格差の広がりだ!」と思うのか「頑張った人に相応の報いが得られる」と思うのかは各自の判断で、ってことで。



突然ですがここで図表です。

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これはトップはてなーの画像です。
すごいですね、自分がはてなーとして凡庸な位置にいる事をアッピールしたいわけではなくてですね。
何が言いたいかと言うと、このはてなー達の分布図のばらつきそのものが、職業人としての"必要性"のばらつきのメタファーになるのでは、ってことです。


つまり、こう
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ある職業があったとして、その職業で仕事をしても「食えない」人が大半。例えば私がピアニストだったり石油プラントエンジニアだったりしたって食えない。それはほとんどの人がそう、って話。その中で一定以上の職業人として「必要とされてる」人が食える、さらに、そっから先にはその職ですごい人ってのがいる、みたいな構図。


大体職業人ってのは多少の差こそあれ、こういう風な分布をするものと理解しています。
この図の方向性でいうなら、頑張って「右上に」シフトすると目立ってくる、というわけです。



どこから出発するか

というわけなんですが、ここで記事タイトルの「副業してる暇があったら本業をなんとかしろ」に戻ります。なんでこんなことがいえるかというと。。


本業ってのがすでに食えている仕事である一方、副業ってのは、基本的に本業でない仕事なので、ゼロからのスタートになります。さっきの図にあてはめて考えると、こういうことになります。
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副業と本業、追加で同じだけ頑張った時に、副業では依然として「食えない人」のままである一方、本業だと「稼げる人」目前みたいなポジションにいったりできる、ということになります。だからさ、副業にリソースを割くよりもさ、本業に割いたほうがおトクなんですよ、という事を今日の主張にしたいと思います。
多少の図の線の長さがちがうとか汚いとかそういうのは気にしないでください絵心が無いんです。



低空飛行してる人がおおいこんな世の中じゃ

以下おまけ、
Q:とは言っても本業でさらに右上に行くの難しいじゃねえかできねえよ殺す
A:大丈夫大丈夫、意外となんとかなるって。
・・・というと気休めみたいに聞こえるので1つ。社畜10年以上やってていろんな職業人の人を見てきましたが、大半の人がやってなくて、ごく一部の人がやってる事があるんですね、それは「練習」です。体育会系でも文化系でもなんでも、部活で成果を出すためには練習するんですよね、それで見違えるほどよくなる。Twitterに毎日絵を描いてる人が最初下手くそだったのにみるみる上達していくのを見ると、感動すら覚えます。ドキュメンタリーか何かで、寿司職人の見習いが業務終了後に、一人前になりたい!と寿司を握り続ける姿を見てウルウル来たりする人も少なくないでしょう。


的な”練習”にあたる事を、日本のホワイトカラーの人って何故か全然しないんですよね。この手の人の仕事って、段取りを考えて、資料を作って、会議で気の利いたことを言って、説得して、現物を作って…ってのの繰り返しで大体まわっていくんですが、そこでのそれぞれの練習。そういうのに時間を割くと大分変わるんじゃないかなぁ…って勝手に思っていますよ。




Q:なんだお前、これに反対する立場なのか
 部下が土日に「イラストレーターの副業」をしていた! どうやったら止めさせられるか
 http://blogos.com/outline/104422/
A:いやぁ~副業なんて禁止するものじゃないですよね。自由にしたらいいんじゃないですか。
・・・なんてことを言ってると矛盾みたいに聞こえますが、論点が全然違う所にあるので。どういう風に各自リソースを割いて働くかなんて、それこそ勝手にするようにしたらいい、って思うんです。自営業の人なんか2日、2日、1日みたいに3つ仕事をやってる人とかゴロゴロいますもんね、何故会社員だけそれをやっちゃいけないのかはよくわかりません。
それで、その立ち位置に立った上で、一般的なホワイトカラー会社員にとっては、「稼ぐなら本業がんばった方が分散させるよりもおとくなんじゃないの」って言ってるだけです。


それこそ、「お得かどうか」って話しかしてないので、「お得じゃないけど俺は絵を描くのが楽しいから絵を描くんだ」とかって判断を自由にすればいいわけです。ぶっちゃけ私もそんなに働きたくありません。


Q:そんな事して本業一本やりにして会社がつぶれたりしたらどうすんだ
A:なんとかなるって
…というとアレですけど、そんな風に「いろいろ変化が激しい世の中」ですので、どこにいっても「求められる人」っているんですよね。5,6回転職してる人とか。
こう都合よくいくかどうかわかりませんけど、こんな感じでいかがでしょう
・本業を頑張ってすごい給料が上がる→つぶれる→「ほほう、こんな実績がある人ならぜひ欲しい!」と引っ張りだこでどこでもいける
・本業そこそこ+副業→つぶれる→「そこそこのひとならいらないなぁ」→副業だけが残る→苦しい!


みたいな。
まぁ、副業で濡れ手で粟みたいなのがあるかもしれないし、好きでやってるんだからいいじゃん、とかウチは本業でも全然あがらねえんだよクソが!(それが思い込みなのか事実なのかは別として)ってのもあるかもしれないのでそんな個別事情までは面倒みれませんし、それこそ勝手にやればいいんだと思います。
ただ、可能性の話だけするのに「本業をもっとやる」って選択肢の方が割がいいのにないがしろにされてる感が高いような気がしたので、ためしに書いてみました。


まとめ(再掲)

・会社員の給与は、思っているほどスタティックなものではなく、結構変動するものである
・ゼロから副業やるより、今の仕事で上積みを狙い給与取りに行った方がきっとお得
・とはいえ人の考えはいろいろなので各自のやり方で頑張れ!(投げやり)

都内高速移動の秘訣

どもども、ご無沙汰です。


今回はちょっと趣向を変えてお役立ちネタみたいな話です。


私、一応生まれも育ちも東京23区内で、小学生の頃から1人で電車に乗って塾通いとかしており、結構電車のルートとかを考えるのが好きなんですよね。
よく「特技は都内の高速移動です」とか自己紹介で言っているぐらいです!


まぁそんなその辺の経験則で「この辺を気をつけたら高速移動できるぞ!」というのを軽くまとめてみました。


そもそも一番手っ取り早いのは「タクシーを使え!」なのですが、身もふたもないので、一応地下鉄をうまく使って都内をスピーディに移動しようという話を。
基本的な原則としては、乗換の回数を減らせ、ターミナル駅に近い地下鉄の駅(乗換案内に出ない)をおさえておけ、という事になります。


まぁ遠方からの場合は、大体山手線の駅とどっかでつながってて、山手線使うのが最強なんですけどね。

千代田線二重橋前駅三田線大手町駅は、東京駅が近いぞ

まずは、これです。


二重橋前駅大手町駅は、行幸通り下の通路に直結していて、東京駅までおよそビル2区画分、歩けば5分強、走れば1-2分で東京駅に到達することが出来ます。
乗換案内では、大体両線ともに「大手町で丸の内線に乗り換えて東京駅に行け」みたいな事が出ますけど、それは乗り換え時間、待ち時間の無駄ですね。そのくらいなら直接歩いた方が早いです。


このルート、もう1つ良い事があって、
二重橋前、(三田線だと日比谷駅)を使うと、東京駅の京葉線ホームにも近い。というのがあります。
これも距離でビル2区画分です。下手にどこかで山手線に乗り換えて、東京駅で降りて京葉線ホームに向かうぐらいなら、こっちのほうがはやいですね。ディズニーランドでも、葛西臨海公園でも、幕張メッセでも行き放題です。


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新宿という街は、新宿三丁目を頂点にした三角形の形状をしている。

やんやん遅れそうです!たいへん伊勢丹までダッシュ!したと思ったら待ち合わせ場所が実は高島屋でした!こんなときどうする?
初めてのデートごめんで登場しますか?電車が脱線しちゃったのは遅刻の言い訳としては妥当ですよね。


普通なら、新宿駅にもどって、そこからまた人ごみをかき分けルミネを下って甲州街道の下をくぐって高島屋に向かいますが、これは実は最短距離じゃないんですよね。
答えは、副都心線新宿三丁目の地下通路を突っ切る、です。


副都心線のところでなくても、上を通って行けばいい話ですね。FOREVER21の脇の通りを通って、ブランド王ロイヤルとかを抜けて行けば、そこはもう高島屋です。


地図を見てみると、新宿三丁目交差点を頂点とした直角三角形の形状をしているんですよね新宿の街って。
さらに扇を広げれば、歌舞伎町にもバルト9でもどこでも行けるわけです。


なので、新宿駅を起点に新宿の街をとらえると、結構あちらこちら行くのに遠回りしちゃったりするのですが、新宿三丁目を起点にとらえると、割とルートがすんなり見えてくる、とそういうわけです。


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何も目的地の駅に集合する必要は無いよ、という話

「●●駅に集合ね!」と言われても、自分の最寄りの路線からその駅に向かうには、微妙に2回、3回と乗換をしなきゃいけなくて面倒だなぁ・・・と思う事ってありますよね。
しかも直線ルートなら近いのに、何故か何回も乗り換えてぐにゃぐにゃ曲がってやたら遠回りになってしまって、、、みたいな。


そんな時は、その●●駅の近くにある、自分の最寄路線の駅を使って、そこから歩いた方がスムーズに移動できるよ!というお話。


例えば秋葉原なら、秋葉原駅に無理して向かう必要はありません。中央線の御茶ノ水からでも歩いていけますよね。まぁこれは乗り換えのタイミングが合えば各駅停車に乗った方がはやいことのほうが多いですが、、、
それ以外でも、千代田線の湯島、銀座線の末広町、都営新宿線の岩本町とあるわけですから、別にどっかで乗り換えて移動するよりは、近い路線で近いところまでいければいいわけです。


同様の近い駅の例としてはこんな感じ

なんかがありますね。

皆さんのオススメ高速ルートを教えてください!

といった辺りをうまい事駆使すれば、多分乗換案内のルート以外にも、よりはやく移動できる手段もありそうです。

そんなわけで、今回は私の大したことない経験から、よりはやく移動できるためのルートをまとめましたが、きっと皆さん各様の必殺ルートを持っているかと思いますので、ぜひその辺りを教えていただいたら大変ありがたいです。皆さんよろしくお願いします。

意識が高すぎる問題

最初の3年で仕事人生の大半が決まる説
http://sudoken.hatenablog.com/entry/2014/03/13/224448

意識高い(笑)と小馬鹿にしてる人に哀れみを感じる。 - 拝徳
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2014/03/14/134843

意識が高くても別にいいんですよ、それを他人に押し付けなければ。
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/03/15/140948



一通り読みました。私のような日々ぬぼーっと生きている人間には刺激が強過ぎて、途中で胸焼け起こして諦めそうになったりしましたが、頑張って読み切る事が出来ました。


要は何が書いてあったかというと、
・「意識を高く持て!」→馬鹿じゃないのとブクマで言われる
・「『意識を高く持て!』に馬鹿じゃないの!」と言うなんて馬鹿じゃないの!って言ってる→それに対して「上から目線で押し付けんな馬鹿!」ってブクマがつく
・最後に、「意識高くてもいいけど人それぞれだよね」という締め

みたいな感じ。

こういうのは「何をいったか」ではなく「誰が言ったか」だったりする

まぁ内容自体は「よくある人生それなりに上手く回ってる人の話」なので、ふぅ〜んそうなんだぁ〜、ぐらいの話である。


多分全く同じ内容を孫正義あたりが口にしていたら「おおぉ〜なるほどなるほど」となる(人の割合が相対的に増える)ことでありましょう。
あるいは文章をちょっと古風に書き換えて、「松下幸之助の金言」とかで偽って売り出せば、オジさんたちが一生懸命買い集めるような気がします。



ここでいつもの野球部の時の話を。
ある先輩がいまして、いつもミーティングで積極的に発言して、後輩の面倒見も良くて、目標も高く持ってよく練習をするけど、絶望的に下手くそで全く上達しなかったの。
その人は、後輩である僕らにすっごいまともなアドバイスを一生懸命送るんだけど、当時の自分らはそのアドバイスを全然聞いてなかった。「なんだあいつ、口だけじゃねえか」と。

「意識高い()」って多分そう言う事だろう、って思います。


何らかの結果を出した人間が偉そうに語るのには、「ははあなるほど」となり、「そうは見えない」人間が偉そうに語ると「なんだこいつ」ってなっちゃうんですね。その意味では、結局意識が高い事って「誰が言ってるんだ」のバイアスがかかっちゃうのよね。


その意味では「俺はこんなすげーことしてきたけどみんなはどう?」という感じが良かったのかもしれません。R社の場合「俺すげー」を増幅させる仕組みが強過ぎて客観的にどうか?という話はあるかもしれませんが、そもそもその辺は”客観的に”はかる事なんて無理でしょうな。人によっては孫正義松下幸之助も「口だけ野郎」という評価になるでしょうし。
「何もしてないのに偉そうな事を言うな」という「何もしてない」/「何か成し遂げた」なんて誰にもわかんねえもんな。なんとなくだよ、なんとなく。



まぁ、本来は「名コーチ必ずしも名選手ではない」の法則に従い、どんなアドバイスでもまともなものなら真摯に聞く姿勢、というのが必要なんだろうけどね。。。
そしてまた、「意識高い()」状態の上滑りから、頑張った結果何らかの成果に結びつく、、、というような2番目の記事に書いてあったこともありうるんだろうな、とは思いますね。


だが、一般的には「何もしてないのに偉そうな事言っている」に見えたら「アホか」って思いたくなっちゃうんでしょうね。

仲間を集める手段としての「意識の高さ」

組織には、何らかのビジョンやらミッションがあり、それを達成する為にある意味「同じ志を持つ」人間が集まる、そういうことです。
野球部は「野球を一生懸命やりたい」人間の集まりだし、ウェブ会社は「ウェブで何かを作る」人間の集まり、みたいな感じ。


そんなわけで、組織は「なんらかの共通項を持つ人間の集団」であるわけで、ある組織に属する人間は、どこか似てたりするわけですね。どっかの会社が従業員に真理テストを受けさせたらその傾向が凄く似てた、とかそういうの。


で、その共通項の基準の1つとして「意識の高さ」みたいなも、存在しうるってことでしょうね。


そうやってみると、「意識の高い事」を言っていれば、その人間の周りに意識の高い人間が集まる。それで同じ「意識の高さ」で組織が出来て、気持ちいい仲間と気持ちいい仕事が出来る。。。うむ、そう考えてみれば、きっと「仲間が欲しかった」のかな、などと思えて来ますね。


「意識が高い事を言って、それが響いたらきっとどこかで仲間になれる要素がありまっせ、それが響かない人間は、どうぞ響かない人間として、それぞれの道をお歩きください。違う世界の人間ですね」というリトマス試験紙的な役目を果たしてるかな〜的な。


3番目の記事で、「意識が高い事を他人に押し付けるな」と言ってるんですが、それはそれで一面正しいと思うのですが、多分それだと「意識が高い仲間」が出来ないんですよ。共鳴しない人に押し付けるのは間違いだと思うのですが、共鳴し合う人を探し出すには、何らかのアッピールをしないといけませんよね。


だから、僕はこういう「意識が高いアピール」もどんどんすればいいと思うんです。そして、それに共鳴した人間がどんどん集まって、「意識が高い人間のコミュニティ」がすごーくおっきくなって可視化されたらいいなっておもいます。僕は、その来るべき時に備えて、肥大化した意識の高い集団を一網打尽にドーン!と出来るような仕組みを普段から考えておこうかなって思います


以上。

法が通用するのは法に従って生きている人間だけである

いろいろ忙しいのでいろいろはしょります。チラシの裏です。


変な事する人への「抑止力」について

何やら、「アンネの日記」を切り裂く犯が話題になっているらしい。
それについていろんな人がいろんな犯人像を述べているけど、その中で1つ気になったのは「”頭の弱い”人が実は犯人だってみんな知ってるけど、事情が事情だけにおおっぴらに出来ない」という話がありました。


これを見聞きしたときに、正直「困ったなぁ…」と思ったのです。
一体、どうしたらこの行為を止めることが出来るんだろう。その抑止力となりうるものってどんなものがあるんだろう?と考えて、途方に暮れてしまったのです。まぁもちろん犯人がどういう人だか全然わかんないんで、以下全て前提もおかしな、頭の中で考えた憶測でしかないんですけどね。


極端な話さ、ほとんどの人間は「法を犯したら罰せられるからそういうことをしないようにしよう!」という行動原理で動くわけじゃないですか。ところが、仮に犯人がそうではない一部の人で、それで捕まったとしても”無罪放免”ということになるわけじゃないですか。だとしたらその犯人にとってはお灸をすえられるようなことにもなく、更生してもうやらないようになる、というわけではないな、、、と。



でも、それを「仕方ないことだ」とそのままあきらめていいのか、どうにかしてこのトンデモナイ行為を事前に止めることは出来ないんだろうか、とね。



じゃあ何が抑止力になるのさ

そこで1つどうしてこうなったか?の背景にある可能性として思ったのは、コミュニティの希薄化
昔なら、近所の目とか五人組とか村八分みたいな仕組みがあって、周りの人から「バカな事すんな!」とドヤされたりして変なことするのをやめるとか、そういうメカニズムが働いていたのかな、とかね。
それが最近は別にそういうのが気にならなくなったから、あんまり「バカなことはするな!」というプレッシャーを感じなくなっていて、行動がゆるむ、、、とかそういう変化。


その意味では、今回も仮に捕まったとしてようやく、身の回りの人に「馬鹿な事をするな!!!!」と怒られて目覚める、みたいな可能性もなきにしもあらずだよな~とか思ったりするわけです。



何を言いたいかと言うと

そんな近所の目とか、あるいはもう直接「ぶん殴られる」とかでもなんでもいいんだけど、法以外の抑止力って何か世の中いろいろありそうだな・・・ということと、


「法律があるからなんでも大丈夫だ!」と思うのではなく、それ以外のレベルについても「ダメなものはダメ!」って言うための抑止力を持ち続けることをあきらめちゃいけない、という話なんですけどね。



なんだこれ、子供のしつけか。
子「バーカ!」
親「親に馬鹿なんていうもんじゃありません!」
子「そんなのどこの法律に書いてあるんだよ!」
親「なんだと!(バシッ)!」
子「どうもすみませんでした」
→児童虐待で逮捕


ってことになるので、もちろん法はまもろう!

そもそも

アンネの日記を何冊破ったって、法律的には器物損壊の軽犯罪ですよ。



ところが、それが下手したら重大な外交問題になりかねないほどの大事である、ってガクガクブルブルしてしまうのだって、言ってみれば「第二次世界大戦の悲惨な歴史」が世界のコンセンサスになっている、という事を我々が知ってるからなんですよね。


その意味では、僕らはやはり、法以外の抑止力にもしたがって生きているわけですけど、それを知っているか、知らないのかみたいな違いはありますけどね。

でも

ウクライナに対するロシアのあの態度であっても、G7とかでにこやかに1枚の写真に納まったりしてるのを見ると、多少の外交問題なんて、どうにでもなるんじゃねえかな~などと思ったりもしますね。


いずれにせよ

本件の犯人が早く捕まって、背景が明らかになり事態が一刻も早く沈静化することを切に望みます。

努力のあり方とは

プロに行ける野球選手とは

僕がいた高校野球部、たまにすごい選手が出る。
割と近い世代で言えば、僕の入学する直前に卒業した先輩、名門大学で活躍しレギュラー、そして4番を任されるまでになった選手がいた。

そんなある日、野球部の監督がぼそっとその先輩の選手を評してこう言った
「いつは素晴らしい野球選手だけどプロにはいけない。才能が無いからだ。」
ガーン、、、あれだけすごい選手なのに、、、なんてことだ、なんてことだ、、、、
等とビックリして思っていたら、監督は*1こう続けた
「プロに行くには才能が必要だけど、あのくらいの選手には、どんな環境でも(注:名門高校の野球部でなくても、的な意味)ちゃんと努力をしたら誰でも大体はなれるものだ」と。
そして、最後に「お前はまだ練習が足らん。練習しろ」とおいう熱い説教で締められた。クソが。

努力ってなんだ

正直当時は「何言ってんだこいつ」ぐらいにしか思ってなかったけど、今にして思えば監督は「努力」というものの意味を正しく理解していたんだな、と思う。


では、努力の本質って何よ?って話
僕なりの努力の解釈は、こうだ。
「努力とは、才能の有無を確かめる行為」だ。


よく引合いにだされる、エジソンの「『99%の努力と1%のひらめきだ』は実は、いくら努力してもひらめきがないとダメだよバーカ」というのも、多分努力の本質を良く言っているなと思っている。


本当の意味で、ある領域で大成するためには、才能が欠かせないんだけど、自分自身に才能があるかどうか、を確かめるには、「才能が成果を左右する」領域まで努力で高めていかないと、わかんないんだよね。


先輩の場合は、その域まで達したので、「才能があるかないか」で判断されるようになった。そして、その域まで達していない僕は「練習しろ」とドヤされた、というわけだ。

才能が無いと判ったら、その努力に費やしたものは無駄になるのか


才能が、あったらいいよね。でも、あるかどうか確かめるにはたくさん努力しなくちゃならない。これって相当残酷な話でもある。
もしも才能がないとわかったら、ガッカリどころの騒ぎじゃないよね。僕もそう思う。


そういうとき、安易に「大丈夫、努力したという経験が残るよ」とか言うんだけど、それはちょっと違うんだよな…と私は思います。


やっぱり「才能が無くて無駄になってしまったものは、ある程度は無駄」なんですよね。


野球選手になれなかった先輩は、今親の会社を継いで薬を売ったりしています。
あれだけ上手だった野球は、彼に1円ももたらすことはありませんでした。*2
いやもちろん才能の開花=金を稼ぐだなんて全く思っていませんけどね。



そういうことですよ。音楽で飯を食うのだって大変だし、Youtubeに面白お弁当動画をアップし続けて飯を食うのだって大変。中々世の中うまくいかないわけです。


ちょっとの努力で飯を食える世界、それが社畜

(このブログは、社畜礼賛ブログの側面もあるのです)
それで、努力が無駄にならないパターンを考えてたら、社畜の世界に行きついたわけです。
実は社畜の世界って「才能が開花しなくてもそこそこ飯が食えちゃったりする」世界なんだな、ってある時気が付いたんですよ。


一定の段取りをつける、人と話して相手をうごかす、きちんとしたモノを作る、それっぽくふるまう、といったある種のお作法を努力で身に着けちゃえば、あら不思議一流社畜の出来上がり。的な。
その努力を正しく行えば、社畜の才能が無くても、野球界におけるその先輩の選手位のポジションに社畜の世界でなれれば、それなりに楽しく生きていくことができます。なんということでしょう!!!!!



というどうしようもない話でした。
でも私は社会人は一定のお作法で出来ていて、それをゴリゴリとマシーンのように推し進めていけばいい、とは本当に思ってますけど、それはまた別の話。

*1:ちなみに監督は、ドラフト下位指名される予定だったんだが、その球団が大物をクジで当ててしまい金がなくなって指名回避された悲しい経験を持っている。ちなみにその大物はプロでホームランを何百本も打った

*2:もしかしたら裏で栄養費をもらってるかも知れませんが

チケット本人確認するなら本当に”都合が悪くて行けない人”はどうなってしまうの

こんな記事を読んだんですよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140210-00000312-oric-musi


ももクロ、国立公演“本人確認”導入 転売・譲渡撲滅を呼びかけ

 購入チケットについては、「ご購入者ご本人にご覧頂くための販売に限らせて頂いております」と念押し、「インターネットオークション、対面販売その他方法の如何に関わらず、第三者より入手されたチケット、他人名義のチケットでのご入場は出来ませんので、何卒ご注意ください」と強く呼びかけている。

 なお、「座席のご購入者名義(AE会員証データ、及び座席引換券に登録されたご名義)と実際のご入場者が異なる場合は、いかなる理由にもかかわらず、当日のご入場をお断りさせて頂きますのであしからずご了承ください」としている


ですってよ。


まぁその、プラチナチケットを売って儲けよう、その転売のために大漁のチケットを確保してやろう、という輩をなんとかしたい、といのはよくわかります。


でも僕は、その考えに理解は示しても賛同する事はできません。

なぜなら、



本当にその公演に行きたくてチケットを取ったのに、都合が悪くなってやむなくチケットを手放さなければならない人への配慮というか、対応が全くないからです。


僕も以前、それで悲しい思いをしました。TMネットワークの久々の公演を見に行く気満々でチケットをとったのですが、仕事の都合でどうしても行けなくなってしまいました。
その時に、そのチケット自体転売対策なのでしょうが、届くのが公演の数日前で、その時点で代わりに行く人も見つけられず、本来別の行きたかった人に渡すべきところだったのでしょうが、その手段もなくそのチケットは時間が来てただの紙切れに変わりました。
(また、TMネットワークのチケットについては別の悲しい話もあるのですがそれはまたいつか)


公演に行きたい人が、誰もがいけるわけではないですし、チケットとれなくても、どうしても行きたい人がいる。そんな人たちがいる中で、救済の仕組みがないと、結局席が空席になってしまうという悲しい事になる訳です。行けなかった人も悲しいし、行きたかった人も悲しいし、演者スタッフも悲しい事でしょう(悲しいことと信じますよ)


正直僕は、こんな思いをするなら草や花に産まれたかった、おっと違う、こんな悲しい思いをするなら、転売なんてアリでいいんじゃねえのか、ぐらいには思っています。



だから是非、今回の仕組みを入れる人たちは忘れないで下さい、そのせいで行けなくなって空席になってしまうチケットと、そこに入れなかった悲しみと入れたかもしれない悲しみを。


それこそ本人確認必須なら、チケットのIDとかで識別して、公式に買い戻して再販売の仕組みだって作れると思うんですよ。
そういう救済措置とセットでの「本人確認」なら、喜んでやるべきだと思いますよ。



以上。

靖国行くならもっと上手い事やってくれよ

新年なので難しい事を考えてみました。元々難しい事を考えるブログだったような気がしますね。


靖国神社参拝が「問題」化した経緯と、アメリカのアーリントン墓地との違い。付:靖国参拝での各国反応 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2138833257598681801

安倍首相の靖国参拝に関する海外メディアの報道と若干の考察 | とんぼの眼鏡でみた国際政治 - 国際政治学者・六辻彰二のブログ
http://mutsuji.jugem.jp/?eid=201

とかを見ていて思った事をメモ。


え〜と、基本的には、PKOはどんどんいけばいいし、秘密保護法は何がどうダメなのかわからないし、原発で騒いでる人たちはどんだけ見えない敵が好きなんだ、基地もしのごの言わずにしかるべき所に作ればいいし、オスプレイもどんどん導入しなよ、そして今日のサンデーモーニングの政治コーナーはクソあんどクソって思っている人です。


それで、現時点で靖国については「余計な波風立てるぐらいなら参拝すんな。やるならもっと上手くやれる確信があってからにしてくれ」って思っています。以下その考え。

日本のプレゼンスは下がっている。ふんぞり返るというよりは積極的に仲良くして行く立場

まず足元の話。空から日本を見てみようじゃないけど、外交的に他の国を含めて俯瞰的に見るとどうなるか、って話ですよね。

・極東
・日本は資源を持たない加工貿易国。今後産業が変わったりする可能性はあれど、常時資源を輸入する必要がある
・日本のプレゼンスは下がっている。OECDランキングとか、ハブ空港で仁川、チャンギにぼろ負けとか。(あとでちゃんと調べる)

以上から、外交的には「他国からの関心はそれなりに高い物の、下がっている」という状況。つまり他の国から「日本という国を一生懸命知って、わかってやろう」という意欲がそんなに高まって来ないのでは?という考えになります。
そんな中で、資源国から嫌われたりもしたら、資源を取る上で不利になったりして、日本がさらに貧しくなって…なぁんてね。
なので、積極的にお仲間アピールをして、国際的に各国と仲良くやって行く必要があるという話ですね。

隣国と同レベルの小競り合い(をしているように見える)

足元の話その2
・中国は国境とかでガンガン攻めてくる
・韓国は割とマジキチな言いがかりをガンガンつけている。親日で罪になるとか頭がおかしいとしか言いようが無い
・そんな中、日本は相手が怒り狂うとわかっていて首脳が靖国に行く


→こんな状況を他の国の人が見れば、「うわぁ〜なんかケンカしてる!」って思う訳です。
しかも、「そんなに詳しく知って、わかってやろう」という意欲がそんな高くない国が、です。
まぁそのたとえ話ですが、クラスの隅っこでなんかよく知らない連中が小競り合いのケンカをしてた時の一般的にどんな感想を持ちますか?→「ケンカ両成敗」じゃないけど、どっちもどっちじゃないの?ぐらいのスタンスなんじゃないですかね。。という。その中でその当事者が(どっち側でもいいけど)「俺の話を聞いて聞いて!」と押し寄せて来たら・・・?俺だったら「うわぁめんどくさそう適当に流そうかな」とか思っちゃいますよね。



この状況は計算通りだったのか

・アメリカが失望を表明
なんてして
・どうもそこまで表明されるとは想定してなかった
とか言う訳です。

そんなところで
中韓が連携して「日本問題」と称して「あいつがわるい!」的な包囲網を築くべく画策している
とかこんな状況があるわけです。全然よろしくありませんね。

この状況が計算通りで、それに対する完全な次の矢が既に出来上がっており、効果も見えている、という状況ならそれはそれで安心なんですが、その辺が上手く出来ていないように見えるので、追加対応が迫られちゃってますよね、、、という。

というわけで、難易度の高い"余計な"追加対応をせまられていて、果たしてそれって上手く出切るんだっけ???という謎

・外交的に説明を尽くして行く
それって誰がやるんだろう。外交官?はてさて日本の外交って今までそういう立ち回りが上手く出来てきましたっけ?という話(例はこれから集めるけど、湾岸戦争でクウェートから感謝されなかったとかそういうの)
かつてプレゼンスが高かった時代に立ち回れないのが、シビアなな環境の中で、どこまでやれるんでしょうね。
→もちろん、日本の外交的なプレゼンスを高める事が彼らの本業なので、そりゃもうしっかりやってもらうしかないんでしょう。だったら、余計な手間をかけさせる行為を減らして、本来の本業をやってもらうようにするのが良いのでは、というあたり。
さっきの「聞いて聞いて!」って当事者がそれぞれ押し寄せてくる状況。どっちの話を聞くか?たくさん来る方だったりしませんかね。「理があるから大丈夫」と「いいものづくりをしていたら売れるはず」が似てるような気がするんですけどね。



他の方向はどうなんだ。
・逆に包囲網つぶし、みたいなものは必要か
中韓を分断させる工作?工作みたいなものがなんで必要になったんだって話なので省略。

・いっそのこと文句を言う奴との国交断絶も辞さない、って考えはどうか。中国は2012年には日本の輸出先No1になっていて、市場としてそこが死ぬと危なそう。中国・韓国で日本の輸出の25%を締めているので、「加工貿易国の輸出が25%死ぬ」と考えると、とても景気が悪くなりそうですね。




以上
まとめると、日本のプレゼンスが下がっている中で、なんかガミガミ言っている国に対して「誤解している!」と言いながら相手が怒る事をする。それを見ている人は「うわぁ〜ケンカしてるな〜」ぐらいの感想しか持たない中で当事者の片方が「あいつがわるい!」とどんどんアピールしてくる。それにイチイチ対応しなきゃならないので「余計な手間をかけなきゃいけないこと」をわざわざする必要はねえんじゃないの、って話。かな。

さらにまとめると「やるなら上手い事やれ、下手打ってまでやることじゃねえだろ」って事か。


別に「こんなに素晴らしい国日本!」とか書いてある本を読んで溜飲を下げてもいいけどさ、ガンガン今日本の位置づけが下がっている中で、プライドだけ高くてふんぞり返ってケンカを売りまくったって、あんまりついてくる人もいないよな〜って事を懸念しているって話でさ。


想定される反応

戦没者の慰霊は、内心の自由だからどんどんやりゃあいい
その通りだと思いますよ。ただ、それが「外交上日本が(インパクトの大きさは測る必要があるにせよ)不利になる行為」に直結しちゃってる中で、外交を担う立場の人間がわざわざそれをやってどうするの?という疑問という話が発端なんですかね。

・全然何も起こって無いじゃん、何も悪い事してないんだから当たり前
→”まだ”何も起こってない、というだけではないか。包囲網の外交プレゼンス合戦とか、ボディブローのようにジワジワ効いてくるのではないかと心配をしている

・雑な論拠だな。もっと調べろよ
はいすみません。調べますのでいろいろ教えて下さい。
あとは多くの人間はこの手の話に雑な考えで方針決めたりするので、多少は雑でもストーリーもってたほうがいいかな、って意図でした

・内政干渉だ
そもそも靖国に行く行かないは内政問題なんでしたっけ。それこそ戦没者を慰霊するのは内心の自由だし、宗教に近い話なので、ここを自分たちが「内政の話」って行っちゃうとそれこそ政教分離に反してないのかな、大丈夫かなと思う。
参拝って行為が外形的に「いくつかの他国を挑発する行為」になっちゃってる、ってのが問題なので、内政かどうかはともかくやはり外交の問題になるわけです。

個人的にはここを解いて行くしかないと思っているので、靖国にかわる戦没者慰霊施設を作るしかないんじゃないですかね。靖国もアーリントンも行った事ありますが、上のリンクにもあったように色彩は全然違うので。。

個人的には、三十何年前のA級合祀あたりから下手うってるなぁ〜という印象。
ドイツなんかは「なんもかんもナチが悪かった」と徹底的にやることで今のポジションを築いてたりするのと比べるとな〜。って話。



まだ考えレベルで、「後で調べる」って物事も多いので、自分の中でのストーリーを整理。当然反証となる事象がバンバン出てくるようであればそりゃ当然考えのストーリーを改めますって話。