しかくい頭をなんちゃら

ブログを作ったんですよ。別に何か偉そうな事を書くつもりはいっさい無いですけどね、日記ですよ、日記。ブログなんて書いていたのは2004年〜2007年ぐらいまでだから、おおよそ5−6年ぶりの出来事なので、クソみたいな文章でも許してほしいですね。
日記とはいっても、僕の日常なんて、朝家から出た時に元気よく登校してる高校生を見てイライラして、アホみたいに仕事をこなして、帰りの電車で中刷り見ながら愚かな突っ込みを入れた上で帰り際に下校してる高校生カップルを見てイライラするか、タクシー帰りになってイライラするか、嫁と話すかしかない訳ですよ。そのワンパターンの繰り返しなんだから、きっと日記も4回書けばネタ切れを起こすはず。なので気短くおつきあいください。


そんなわけで今日は中刷りの話。
日能研の広告あるじゃん。シカクい頭をまるくする話。
今回はこんな問題だったんですよ。



 

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http://www.nichinoken.co.jp/column/shikakumaru/2012/1301_ri.html

最初に今日ぼやーんとこの問題を見た時に思ったのは、「日能研のシェアって今どのくらいなんだろう」ということだ。悲しい商売人の性だよね、塾業界なんて生徒をいかに沢山集められるかの戦争だ、その戦争に勝てなきゃ絶対に儲からないし死んでしまう。どうやって生き残るか、その工夫の為に必死なんだよ!だからもうこれは親向けだゆおね、親の目に触れさせて子供を塾に入れさせて儲けようと言う簡単な話ですよ。そんな塾商売の現実はさておき、子供にはまっとうな事を教えて真っ当な大人になってほしいですよね。


塾のシェアなるものを最初に意識したのは多分中学生のときだったと思う。僕が小学生の頃、小学校のクラスメートには塾に行ってる子なんて僕ぐらいしか居なかったし、通ってた塾では他の塾に通ってる人なんて居なかったわけですよ。
僕の実家は都内でも有数のDQNエリアで、どのくらいDQNかというと、僕の実家の窓から見える近所の公園は、おバカタレントの木下ユッキーナがよくネタで口にする「タイマン公園」そのもの、というぐらい。なんでタイマン公園かというと、ユッキーナがヤンキーだった頃にはヤンキー同士でタイマンの喧嘩が行われていたかららしいんですけどね。ただ、少なくとも僕が小学生ぐらいの頃には、そんなヤンキーどもの喧嘩は見た事無いですし、せいぜいその公園で隣町の小学生が生意気してたんで追いかけ回したりしてた思い出があるぐらいですよ。公園の滑り台には山のように「SEX」って落書きが書いてありましたけど。

そんな公園のお膝元で育った訳ですから、まぁ周りはDQNばかりだったわけです。当時は全然そんな事思いもしませんでしたけど、友達の家には、家族6人が4畳一間に住んでいたり、プレハブ小屋で家の周りに犬の糞がこびりついてるような家があったりして、今にして思えばスラム街そのものじゃねえかなどと思い返す訳です。
そんなところで育ったお子様達ですから、すくすく、ワンパクにたくましく育つ訳です。ハムの人大歓喜ですよ。あまりにワンパク過ぎて、学級は崩壊するわ暴力事件は頻発するわと大変だったみたいです。(僕は全く大変な事態だと認識してませんでした)

そんな状況にビビったのがどうやらウチの母親だったようで、「このまま公立中学に進学させてしまえば、こんなはちゃめちゃな子供達と一緒にもう何年か過ごさなきゃ行けないなんてウチの子がかわいそう!」だとかなんとかそんな感じで、僕を塾に通わせ始めたんですよ。
そしたら一年ぐらいしてね、塾の先生に呼び出される訳ですよ、「お母さん大事な話があります、お宅の子は、もうウチでは預かりきれません」


成績が良過ぎてwwwwwwwwwwwwwwwww


なんだそりゃ、そんな話聞いた事もねえよ。と思いつつ某進学校のある西日暮里の塾に電車通学する羽目に。今考えれば小学校の環境よりも塾の環境の方がマジキチで、「正月特訓」と称してみんなでハチマキしてマラソンして、西日暮里の某進学校の校門の前で皆で「絶対合格だー!」って叫んだりするんだぜ、頭おかしいよね。まあそんな頭おかしい人らでも大人になって医者や弁護士や議員さんになってたりするのでそういうのも必要なのかもしれませんね。くどいようですが私は社畜です。


この両方の環境に共通しているのは、「他に比較対象が無い世界」ということなんですよ。この環境・状況を所与のとして受け取り、代替案の存在に少なくとも気づかない場合においては、「まぁこんなもんか」としてやっていくしかないんですよ。
何が言いたいかというと、「塾のシェアなるものを最初に意識したのは多分中学生のときだったと思う」という話に戻るんですよ。通った中学校はまぁ進学校なので「小学校の時にどの塾に通ってたか」みたいな話で盛り上がるんですね。キモいね!!!
その時に「俺日能研!」「俺○○!」「僕は、公認会計士!」「じゃあ俺は、警察官になる!」みたいな会話が繰り広げられ、自分の通っていたハチマキの世界が全て出なかった事を知るわけです。クラスで40人のうち、何割かが大手の塾、数人程度が小規模の塾、さらにお父さんに教えてもらっただけの人なんかもたまにいる訳です。
それが、多分後に塾のシェアの数値として規定されるものを最初に認識した瞬間であったのだろう。



そんな事をぼんやり考えたんだけど、肝心の問題に全然答えられていないよね。
どうでもいいけどフレンド学園ってなんだよ、僕はこんなおかしな名前の学校絶対通いたくないな(関係者の方申し訳ありません)


【理科】
夜間に明るい部屋からガラスの窓を見ると、部屋の中や自分が映って見えます
これは、ガラスに当たった光の一部が反射しているためです
しかし、昼間にガラス窓を見ると、外の景色が見えます
昼間、外の景色が見える理由を、簡単に答えなさい


わかるよこの気持ち。この広告を見て目線をそのまま下におろせば夜の電車の窓に映る薄汚れてくたびれた1人のオッサンの姿。こんなもの年中見てたら気がめいってしまうよ。特に電車の窓に映る自分の姿って老けて見えるよね。あれってなんでだろ?こっちの方が多分小学生より大人に響くと思うよ。だから、昼間ぐらいはせめて汚い顔を映さないようにする配慮なんだろうけど、それだと理科じゃなくて道徳の問題だよね。道徳とか社会とかだったら正解なんだろうけど、理科だと多分不正解である。


この流れで真面目に答えていいのか判らないけど、ポイントは「ガラスに当たった光の一部が反射しているためです」だよね。昼間だろうが夜中だろうが、ガラスに当たった光の一部は反射している。それなのに、他の物が見えてしまうのは何故か?ということなんだから、外の光のほうがもっと強いから景色が見えるってことなんでしょうね。お前ら家にばっかりこもって弱い光を浴びてないでもっと外の光を浴びろよという熱いメッセージを感じますね。