花粉症が「原因不明の奇病」だった時代

私は花粉症である。
多分私が小6ぐらいの時に発症しているので、かれこれ20年ぐらいの付き合いである。なんだ、気がつけば長くなってしまったね、記念日にはお祝いでもすれば良かったね。


さて、こんな花粉症ももう一段落してしまった時期に花粉症の記事を書くのもいたって愚かな話でありますが、それもこれも私のブログの更新が滞っているせいでありまして、関係各位には深くお詫びを申し上げます。


ホントはこれでもう終わらせてしまっていいんだけど、私が花粉症歴の長さを自慢すると、かならずそれにかぶせて自分自身の自慢をしてくる人間がいます。



それは私の父親です。



確か東日本大震災の直後ぐらいに還暦のお祝いをしたので、多分今年62歳になる私の父親は、どうやらもうすぐ花粉症歴が50年前後の模様。なんてこったい。この記録を上回るには、早急に父親にはこの世から退場していただいた上であと30年ほど生きるしかないと考えると中々ハードルが高いものを感じます。非常に親子関係は良好です。父親の夢は息子と酒を飲みかわすとのことでしたがお父さん、息子は酒が飲めない体質でした。



そんな父親の自慢話と言えば、「俺は小学生の頃から花粉症だった。多分日本で初めての患者だ」「毎年春になると苦しい、苦しいってんで医者に行ってたんだけど、近所の耳鼻科は何も役に立たなくて、いろいろ転々として、大学病院にまで行って、鼻の手術を受けた事もあるんだ」「あるとき、知り合いの大竹っていうヤブ医者のところに行ったらやけくそでヒスタミン剤をくれて、それでピタっと止まったから、それ以来ずっと同じ薬を飲んでる」というのが主な内容である。(尚、大竹医師は数年前に逝去)



いやね、恐ろしいのは「鼻の手術」ですよ。今にして考えてみれば、花粉症で手術なんてありえん!と思う訳ですが、謎ですよね。くしゃみ、はなみずがとまらない、特定の時期だけ、ほとんど症例がないとか、そんなわけだから、そういうこともあるよね。


もしかしたら、30年後は逆に花粉症を一発で直す手術が確立してて「花粉症に薬飲んで対処してたとか馬鹿だよね〜こんな簡単な事なのに」とか言われてるかもしれませんね。




それともう一つひっかかっていたのは「俺は日本で初めての花粉症患者」という言葉です。昔それホントかな〜と思って、花粉症の歴史を調べてみたんです。Wikipediaで。ありがとうWikipedia


以下長いけど引用。長いけど、本文はもっともっとクソ長いので、多分1割も引用してないはず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E7%B2%89%E7%97%87

日本においては、(中略)その正確な出現時期は判っていない。

たとえばスギ花粉症の発見者である斎藤洋三(当時は東京医科歯科大学所属)は、1963年に鼻や目にアレルギー症状を呈する患者を多く診察したのが花粉症に気付くきっかけとなったというが、過去の記録を調べ、毎年同時期に患者が急増することを確認している。また、1989年に65歳以上の耳鼻咽喉科医師に対してアンケートを行った結果、初めてスギ花粉症と思われる患者に接したのは1945年以前であるとの回答が4.7%あったなど、総合的にみてスギ花粉症の「発見」以前に患者に接していた医師は回答者の4分の1に達したとの調査がある。さらに、高齢の患者を調べたところ、戦前の1940年以前に発症したとみられる患者もいた。(中略)

1960年後半からおよそ10年は帰化植物であるブタクサによる花粉症が多かったが、1970年代中頃からスギ花粉症患者が急増した。特に関東地方共通のできごととして1976年に第1回目の大飛散があり、その後1979年、1982年にもスギ花粉の大量飛散と患者の大量発症があり、全国的ではないにしろ、ほぼこの時期に社会問題として認知されるに至った。「花粉症」という言葉が報道等で一般的に用いられるようになったのもこれ以降である。(必殺仕事人III第30話(1983年5月6日放送)に「スギの花粉症に苦しんだのは主水」というサブタイトルが付けられていることからみて、この時点では既に人口に膾炙した言い回しであったと考えられる。))。


なるほど。戦前には患者らしき人間がいたらしいね。そんなわけで彼の主張はおそらく間違っていて、戦前から花粉症患者はいた、ということでファイナルアンサーですなあ。


というわけで、意気揚々と「いや〜残念。戦前から居たらしいよ〜。ただ、ちゃんと花粉症ってのが発見されたのは齋藤って医者が見つけたらしいよ」という話をしたら父は


「あーーーっ!」と声を上げ、続いて


「俺の手術した医者、サイトウって名前だった気がする。うん。サトウだかサイトウだか。偉い先生らしい」とか抜かしおる。



あれですね。医学の進歩の歴史には、医者のたゆまぬ努力と無名の患者の存在がいる、ということで。