社畜に「経営者目線」は必要なのか?について雑に考えてみた

というタイトル。なんか数日前から経営者がそんな風に「従業員は経営者目線を持て」みたいなことを言ったとか言わないとかでいろんなところで反発の声が上がってTARI上がってなかっTARIしてるのをぼんやり見聞きしました。
多分ユニクロだったと思う。ホントはソースのチェックとか(その話題になってる記事そのもの)、反発しているブログの記事とかを引用すればいいんだけど、僕は元来雑な人間なので、そんなめんどくさいことしません。この辺の大雑把加減が僕の悪いところだっていうのはわかってるんですけど、なかなか治りませんね。困ったもんだ。


さてユニクロ。ユニクロが良い会社であるかどうかはともかく、柳井さんは経営者としては不世出の存在で、歴史に残るレベルで間違いないでしょうね。野菜事業がうまくいかないと見るやバサーっと全部無かったことにしたり、任命した後継者を物足りないからって1-2年でクビにしたりと、普通の人間なら情やしがらみに流されたりして中々実施できない事を、ためらいなく(内心で葛藤はあるのかもしれないけれども)ズバズバやってのけられるという点において常人離れしています。アカギか何かも言ってましたよね。「大事なのは、考え抜いた結果を信じて突き進むことだ」みたいな。やるときはやる。それですね。
だからすげー決算出して炎上してるなんとかLabさんもきっと赤字プロジェクトバサーっと切って従業員3分の1にしたりするんじゃねえかな~って期待してます。

蛇足だけど柳井さんの考え方を知るのには、10年ぐらい前に日経ビジネスアソシエで連載してた柳井さんのQ&Aコーナーが一番おすすめだと思っているんですけどね。読者の「上司がいちいちうるさいんです」とか「できない新人君が入ってきた!」みたいなどうしようもない愚痴質問に対して「それはおめーがまずしっかりしてないからだ」「正しいことが通らない組織なら変えろ。変えられないならやめちまえ」みたいな感じでズバズバ切り込んでいく様は大変勉強になります。あの連載、書籍化されてないんですかねえ(要望)。


そんなことはどうでもいいんですよ、そんな柳井さんが「従業員は経営者目線だ」とか言ったら僕みたいな柳井信者は「ふぅ~んそうなんだぁ~」とホイホイ信じてしまいそうなもんですが、僕は騙せても世間様はだませねえぞ!というわけでいろいろ言われているようなんです。
なるほど、じゃあ自分でも少し考えてみましょう。


社畜に「経営者目線」は必要なのか?


そもそも、経営者目線ってなんだろうね。そこについて深く考えだすとそれはそれで深淵にたどり着いてしまいそうなので省略。ここでは「従業員として上から言われたことをダラダラと実行するだけでなく、経営者になったつもりで自分の頭で考えて判断し、成果を出すつもりで行動しよう。」ぐらいの意味でとっておきましょう。



僕の結論はこんなかんじ。
社畜に経営者目線は必要な奴にはいるが、必要ない奴にはいらない。(あるに越したことはないと思うけど。)そして全員にそれを強制するような会社には多分「経営者目線が必要な人間」しか残らないので、「必要ない」と思っている人間からの批判は外からのものであり、そんなもの「会社の社訓」みたいなもんだから放っておけばいいのでは、会社の評価はそんなところでなくて業績でしょ、というものである。
なんか当たり前っぽいけど。


順番に書いていこう。まずは「必要な奴にはいるが、必要ない奴にはいらない」について。

社畜システム(日本の高度成長期に合わせて設定された集団就職に始まる企業従業員として数十年働く仕組み)の前に、こういった商売活動の働き方として、日本でよくあったのは丁稚奉公のシステムである。丁稚奉公とは何か。めんどくさいのでWikipedia転載である。

丁稚 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%81%E7%A8%9A

丁稚(でっち)とは、江戸時代から第二次世界大戦終結まで行われた商店主育成制度。またはその制度によって入門したばかりの者をさす上方(関西)のことば。年季奉公の一形態である。また現代でも一般社員(ヒラ社員)が自嘲的に「まだ丁稚です」と比喩的に使う事もある。上方ことばの丁稚に対して江戸(関東)ことばでは「小僧」である。

まぁそんなわけで、商店主のもとで一生懸命働いて、ゆくゆくは番頭になったり、のれん分けして独立したり、あるいはのれん分けでなくても地元に帰って商店を出したり、というのを目指すわけだ。

番頭となるのはおおむね30歳前後であり、支店をまかされたり暖簾分けされ自分の商店を持つことが許される。ただしそこに到達するまでは厳しい生存競争に勝ち抜く必要があった。江戸期の三井家の丁稚の場合暖簾分けまで到達できるのは三百人に一人であった[2]。

厳しいね~。

ただ、ここでは割と目的がはっきりしていて、丁稚奉公する人たちは将来的に「自分で店を持つ」あるいは「この店の番頭になる」ということを目指すわけである。
そのようなゲームのルールになっているときに「経営者目線を持っておく」というのは有効に機能するというのは間違いないでしょうね。なんでかっていうと、丁稚という身分でリスクを背負わずに経営者的な判断が出来たりとか、間近の経営者が判断している様を見たりとかできるわけじゃないですか。そこで経験しておくと将来的に絶対役に立つわけですよ。本来経営者になってからやるべきことを丁稚のうちにやれたらいいですよね。



というわけで大体もう言いたいことは分かってきたと思いますけど。現在の社畜に話を置き換えたときには単純明快で、「将来的に独立起業を考えている社畜」にとっては、「経営者目線」というものを持っておくとお得な事だらけなので、絶対に持っておいたほうがいいとおもうんですよね。


翻って、丁稚の時代とは違って別に将来的に「自分の店を持つ」なんてのをゴールにしないでいいわけですよ、それなりに楽しくやっていけば食っていけるなんてのもね。
そんなわけでそんな人には経営者目線はいりません。ただ、経営者目線を持つべき!なんてものに反発してそんなものイラン!と言っている人は「生涯社畜宣言」をしているようなものなので、むしろそれは「俺は社畜万歳!一生雇われてワンワン言われたことだけやって仕事をこなしたいです!」あるいは「仕事なんてしたくないからダラダラのんびり生きていきたい!それなりに」と主張すべきだと思います。
一方で、経営者目線云々にに反発する主張をしている人が脱社畜的な事を言ってるのを見ると????が頭の中に出てきて矛盾してるんじゃないかな、って思ったりするわけです。




さてもういっこ、そんな経営者目線なるものを従業員全員に強制するのはどうなの?ということについて。
それはたぶん丁稚奉公の後に生まれた高度経済成長期の日本の雇用システムの名残なんでしょうね。
それはどういうことかというと、「1億総中流でみんなそれなりにエリート」「仕事で頑張るとどんどん昇進してポジションが増える」「最終的には役員になって上がり」というアレのことです。


そんな世界だとどうなるかというと
・ミドルマネジメントが優秀で経営者はお飾り的
・内部での経済性(昇進競争みたいなもの)が外部にも影響を与える(業績)
みたいなことが起こるわけです。
僕はそのへんの”1億総中流システム”が日本の高度成長の最大の要因だと思ってるんですけどそれはまた別のお話。

もうめんどくさくなってきたのでどんどんはしょります。

それが崩れて、ある意味「僕経営者!」「僕それに雇われる人!」みたいな階層化が出来てきたのは、良い事でもあり悪い事でもあるんでしょう。
そんな世界においては、なかなか「全員に同じ方向を向けさせるのは難しいよね」という話になります。
言っておきますけど僕は「頑張りたい人は頑張ればいい。そうでない人はそれなりに」主義です。


実際問題全員がユニクロで経営者になるチャンスがあるかというと多分そうではないでしょうね。だから多分働き方どうこうって話ではないんでしょう。
柳井さんがどう宣言したってなかなかそこが変わったりするのは難しいでしょうな。


とかなんとか考えていて、今更そんなの時代錯誤だな~とかすごい思ってたんですよ。やりたい人にやらせて、そうでない人もいるってことを認めていかないと今日日の経営なんてまわらないよね、、、って


そこでふっと思いついたのですが、あそこで宣言しているのは社訓とか社風とかのようなもんなんではないか、という説です。アットホームな職場とか、和気あいあいとした雰囲気と同じレベルで「従業員が全員経営者目線を持っている会社」というのも並列で存在してしまうような気がしています。

従業員全員が経営者目線を持っている会社で働きたいか?私は嫌です。たぶん多くの人間はそう思うんじゃないかな。でも、そこで働きたいっていう物好きな人間は多分一定数存在していて、そういう人が集まっていき社風を作っていくんじゃないでしょうかね。
なんでR社にはR社っぽい人間ばっかり集まるんでしょうね。ビジネスモデルとしてのR社は本当に素晴らしいと思いますけど、個々人の”R社的人間”は私はあまり好きではありません。また蛇足で余計な事を言ってしまった。



というわけで、社風を規定しているだけなんだから、そんなところで働きたい人間が働けばいいのであって、働きたくないならちかよらない。ましてやそれについてプリプリ外から文句を言うのはお門違いなわけですよ。
会社の評価ってのは単純明快で、業績ですよ。それで業績があがればみんな称賛するし、ダメだったらくそみそにいわれるわけです。だからまぁ、全員が現代的な経営者目線で働く会社が成功するのか失敗するのか生暖かい目で見守ればいいんじゃないですかね。
業績が上がるならゲーム会社がスポーツクラブを経営したっていいし、社内結婚を推奨したっていいんですよ。


とまぁこんなところでしょうか。いつか「日本でブラック企業が生まれる理由」なんかも書いてみたいと思いますがそれはまた今度。