好きになるその瞬間を。を見て、この映画に「恋」をしたんだ

いやもうこれを書いているのは30代も半ばを過ぎたオッサンなわけなんですけれども、見てきたんですよ、この明らかに10代向けと思われるこの映画を。以下気持ち悪い文章が続くので見ない方がいいです。でもほんとは読んでほしい
この前ふりってさ、よく恋愛もので描かれるラブレターである「いきなりこんな手紙送っちゃってごめんね、迷惑だよね。でもどうしても気持ちを伝えたくて書いちゃったんだ」みたいなのがあるでしょ。それと同じ構図なんですよ。そんな文章が続く記事構成になっております。

恋の映画

今年は、邦画の当たり年というか、歴史に残るレベルで良作連発してたんですが、それらの映画の中でも、破壊力はナンバーワンだと思うのだけれど、そんな言葉で表現してはならない、うまく言葉にできないんですよ。


これは恋なんです、恋の映画なんです。
恋は盲目と言いますが、思考の全てが恋の対象になってしまい、他の事に集中できない、頭がいっぱい… 
こういう状態です。
そして、その想いを、相手に伝えれば良い。たったそれだけ、たった一言「好き」と伝えるだけ。それで何もかもが次に行くんだ。
でも、それが出来ない、相手は喜んでくれるか、迷惑だったらどうしよう、振られたら嫌だ、怖い、でもうまくいってほしい
きっとうまくいくに違いない、でも、ダメなんじゃないか…
そんな不毛な考えを延々と繰り返して夜も眠れなくなる。


それが恋だ。恋をしている。そんなことを、ずっと描いている、そんな映画なんです。


そんな映画に、私が恋をしてしまった、という話なんだこの記事は。
いやね、とにかくね、老若男女、多分「恋をしたことのある人間」も、「恋をしたことのない人間」も、何かしら「恋」というものについて想いを巡らせたことのある人間だったら、絶対に見た方が良い、と思うんですけどね、
でも、なんか、こう、とにかく、自分の言葉で、この映画の良さを、伝える自信が全くない。

社畜を何年もやって、曖昧なものを言葉で形にして、いろんな商売につなげてきた人間とは思えない。
完全に、ただの人になってしまった。社会でいろんな役割を担う人間の、担っている部分を剥いで、むき出しの人間にしてしまう行為、これが


恋だ



という状態にまで、自分の感情や思考の外周部分を、ハンマーでぶっ叩かれて粉砕されてしまったんですね。だから、いつものように論理立てて文章を書くことができなくなっています。そういう状態になってしまう映画なんだと思ってくれたらそれでいいです。


それでも、自分の手持ちの駒の欠片を積み上げて、少しでも言葉にしなくちゃならなくて。

まず、恋について描かれている映画だという事を理解してほしい。


次に、今までの恋愛ものとの比較、という事で考えてみたい。


青春群像劇にしている余裕はない

私ね、月9とか大好きなんですよ。ちょうど東京ラブストーリーとか、101回目のプロポーズのあたりで、小学生が終わって中学生になって、そのままずっと90年代のトレンディドラマを見てきたの。
正味の時間で40~45分が12回だから、8~9時間ぐらいの尺なんですね。

そこでは、主人公となる男女がいて、それぞれに気の置けない友人がいて、時にはその友人同士が同じコミュニティで集まっちゃったりして。

一方で、主人公の男女にコナをかける、別階層・コミュニティの人間がいたりして(恋敵)、その辺の人たちが群像的に絡み合って
最終的には男女がくっつく、という流れなんですね。

この間にさ、サブの友人同士が付き合ったり離れたり、恋敵といろいろあったり、すれ違ったりする様をハラハラしながら見守る、というのが恋愛もの、青春ものドラマの醍醐味なわけです。

映画でも大体そうですね、2時間少々だと、もうすこしすっきりとしてくる。



これがね、好き瞬はね、60分少々なんです。60分で、恋について描ききるわけです。
こうなるともうね、恋敵とか友人どうしのアレコレとかね、そっちに割くリソースはなくなるんですよ。

直球勝負、ひたすら、主人公の女の子が、恋する様だけがひたすら描かれる。
この濃密さ、世界中に散らばる好きと言う概念がこの映画の中に濃縮されているんです。
ほとんど、「好き」「恋」というテーマについて、無駄がない。

物語としては、悪い意味でシンプルと言えるかもしれない。女の子が男の子を好きになって、好きって言うだけの話ですからね。
でも、だからこそ、本気なんだ、と言える…

すごく、今っぽい

もちろん、完全にそれだけではなくて、少しですがサブキャラの皆さんの恋も描かれる。これはこれでいいんですが、
そのアプローチが、90年代のトレンディドラマとかとはちょっと違うな~というところがあって。なんというか、登場人物みんなすごい真面目で直球なんですよね。

よくいる「チャラ男」が、モブにバンバン声かけるのの延長で、ドラマのサブキャラに気軽にアプローチしたらバン!って一発ビンタして、「かわいそうに、愛されたこともないのね…」と侮蔑の表情を浮かべて去っていく
それに衝撃を受けながら「あの女…良い…」みたいにチャラ男が真実の愛に目覚めるみたいな展開あるじゃないですか。

そういうのに類似したシーンがこの映画にもあるんですけど、まず殴ったりしないし、そんなに侮蔑の表情を浮かべたりもしない。

その辺がなんか、すごく道徳的だなあという感想を持ったのですね。もちろんその子がそういう性格のキャラ付けなんだという側面もあるのですが、私は演出として「人間としてより正しくありましょう」みたいな教育をキチンと受けている今の子たちを表現してるような気がするんですよね。


そういう、清く正しく美しく、というアプローチで恋について描く、というスタンスが明確だからこそ、この濃密さが生まれたのかもしれません。等という事を思いました。すごく”今”を反映しているなって

恋愛は、主役以外は全てモブ

私は中学高校と男子校だったので、本作のように中学や高校で先輩や同級生を好きになったりするかどうかは知りません(重要)。

でもね、大学はそれなりに男女の数のバランスがとれているコミュニティいくつかにいたことはあるんです。
そうするとね、たいていどのコミュニティでも、誰かが誰かを好きなんですよ。その好きと好きが複雑に交差しあって、ああ~
めんどくせ~ややこしい~とかなるわけなんですけど、そのややこしさも、また楽しいんですよね。

そんな風に、主人公以外にも、いろんなところからいろんなところへ「好き」の線が出ている。


我々は、物語の受け取り手であって、外の世界から恋愛模様を眺めている。だから、たくさん線が「存在」しているのはわかる。
でもね、それって、恋をしている当事者にとっては、自分の出している線が大切で、他の線は、どうでもいいんですよね。
自分の恋が成就するかどうか、最後にどこに落ち着くのか、それしかないわけです。

この映画の面白いところは、シリーズものの前作があって、そちらでは、この作品でモブに近い役割のキャラ同士の恋愛模様が描かれていたりするんですよね。逆にその前作では、今作の主人公はモブ的に出ている。

作品が変われば目線が変わる。恋する人間は、いつだって自分が主人公で、他はモブ。
これを作品ごとに視点を切り替えることで明確に示している、まさに「恋は盲目」って事を表現しようとしているんだな、って思います。

最後に、主人公の瀬戸口雛について

ティーン映画は、主人公をどれだけかわいく(あるいはかっこよく)撮れるかにかかっている
というのが私の持論なんです。物語もそうだけど、主演の人にあこがれる、もっともっと好きになる、そういう動機で映画を見たりするんですよ。

果ては薬師丸ひろ子から、それこそ今度アニメでリメイクされる打ち上げ花火~の奥菜恵広末涼子とか、私の世代のヒロインとかから、最近だと広瀬すずに至るまで。まずは主人公を圧倒的にかわいく撮る。これなんですよ。


その分アニメは、元の主演女優の素材勝負ではなくなるので、大変だとは思うんですが、この映画では、主人公の瀬戸口雛を、目一杯かわいく描くことに、完全に成功していますね。

少女漫画から飛び出してきたかのようなキャラデザ、勝気な性格なんだけど好きな人の前ではうまくふるまえない不器用さ、恋する女の表情の豊かさ、動作のひとつひとつ、感情に応じた声の演技、全てがすごく丁寧に作られていて、見た人は誰もがこの女性に心を奪われるわけです。

最高にかわいいんですよ。
観衆は皆、頑張れ、上手くいってくれ…ただそれだけを願いながら、彼女の恋の行方を見守るだけのマシーンになります。

美味いものを食べるとIQが下がると言いますが

なんだろう、良く出来た映画、というわけでもないんですけど、こんな「好き」「好き」「大好き」「かわいい」みたいなものを、
ど直球でぶん投げられたら、みんな人として社会でうまく生きるためにまとっていたいろんなものをぶっ壊されてしまうな~、
そして、その中にあるクソみたいな人間の感情のコアみたいなところが「恋とは…」「好きって…」っていう、ただただ単純な事を考えずにいられなくなる、そんな映画でした。


美味いものを食べるとIQが下がり馬鹿になると言いますが、
好きになるその瞬間を。を見ると、IQとかどうでも良くなる、そう思わずにはいられない映画でした。