久々に三国志9をやって「強いAIとは何か」について考えてみた

いや~出張続きで忙しくてさ~(更新していない言い訳のつもりらしい)


って思うじゃん?
個人的には、「出張で忙しい」というのは言い訳として怪しいと思っているんですよ。出張先でクソ忙しいというのはそれはそれとしてあるんですけど、出張という行為には必ず発生するものがあるんです。


それは移動です。


移動時間って、結構制約されることが多くて、飛行機にしても離着陸の時は電子機器使うなとか制約があったり、新幹線でもPC開くと僕は酔ってしまうので全然使い物にならなくなったりと、結局何もすることがなくなってある意味「ヒマ」な時間がちょっとできたりするわけです。
そんな時間がちょこちょこだったり、まとまったりすることで、割と「ああ、これは今夜徹夜しても、明日の朝移動で睡眠時間は確保できるな」とか変な目算をしたりするわけですね。


そんな空き時間に、たぶん出来る社会人の皆さんは将来の事に思いをはせたり、PC等の電子器具を使わなくてもできる仕事をしたり、考え事をしたりするんでしょうけど、僕はそういうのが全然できません。ヒマを許せないのでヒマつぶしに何しよう、ということを考えてばっかりです。


そんなわけで、ここ10年の出張のヒマつぶしの進化を思い返してみました。
2003~5年頃:読書、音楽(このころ、60GBとかのやたら容量のデカい中国製MP3プレイヤーとか使ってひたすら所持しているCDをガシガシエンコードしていた)
2006-7年頃:Youtubeで動画をつらつら探してPCで見ていた
2009-11年頃:何故か楽器を始めた影響で、ずっと楽譜を作ったりしていた
2012-13年頃:ipadで映画とかアニメとか見る、あとPSP



PSP。これですよ。10年もの進化とか言っておきながらここ最近でやっているのがPSPという有様ですよ。というのもTwitterで「PSPがほしい」と呟いたらましまろ君から「いらないPSPあるからあげるよ」とご返信をいただきましたのでありがたく頂戴したわけです。本当にありがたい。有難うございます。重ねて御礼申し上げます。この恩返しとしていつかツルになって機織りをしに参上したいと思っております。


それでPSPでやっているのが三国志9というわけです。


またよりによって三国志9などという中途半端に古いゲーム、しかも昔自分がプレイしてずいぶん時間を使ったゲームを改めて携帯機でやろうなんて、ほんともう人間として進化をやめてしまったクソ野郎でしかない気がします。最近のPCを買ってもWindows7の表示に耐え切れず、すぐに表示モードを「Windowsクラシック」にしてしまったりするので、これはもう完全にオッサンの行動ですよこれは。いや違う、僕はもうMacユーザーに生まれ変わったんだ!20年ごしの愛!


そんなことはどうでもよくて、三国志9なんです。


僕は常日頃から「三国志9をオンラインで多人数プレイしたい」と言っているわけなんですけれども、今回やってみてもやっぱりそれを痛感するわけです。
なんでかというと、コンピューターのプレイヤーが単純な思考でしか攻めてこないからなんです。なんというか、三国志シリーズは回を重ねるごとにマップが広くなり、地形が複雑になり、武将の数が増え、パラメーターが多様化し、シミュレーションとして楽しめる要素がどんどん広がっていってるわけです。
その一方で、コンピューターの思考ってのはあんまり進化していなくて、「戦力が薄いところに攻め込む」「戦力が薄いところがなければ、戦力を増強するか、敵の戦力が薄くなるのを待つ」ぐらいでしかないわけです。いやたぶんそれなりに進化してるんだろうけど、「迷いなくスムーズにまっしぐらで愚策に向けて突っ走る」みたいな感じになっておるわけです。
難易度を調整することは可能なんですが、それは単に「相手の設備増強のスピードが1.5倍になる」とか「外交の成立確率が0になる」そういうものであって、ルールのバランスは崩れるわ、せっかくゲームとして設定している行動の選択肢を自ら放棄することになるわで、シミュレーションとして楽しむ方向性とはちょっと違うのかなぁなどと思ってしまうわけです。


だからこう、相手の裏をかく陽動作戦とか、合従連衡をゲーム外含めて握っていくとか、そういう対人プレイができたらいいな、と思うわけなんですよ。それ以前に、そういうのが対コンピューター戦でもできないのかなって思いますね。


その意味では、パラメータとか、地形・地図とかをいじれるだけではなく、各プレイヤーの行動パターンなんかもいろんなプレイヤーの行動をオンライン経由などで蓄積して学習する仕組みを作れないのかな~とか、いっそのことプレイのアルゴリズムをオープンにして「戦略シミュレーションツクール」みたいなのを作るとか、そんなのがあったらいいなぁなどと思ったりしています。


そんな感じで、出張の隙間時間を埋めたりしているわけです。



あと、いい加減私は「FFをみんながやり終わったあとに借りたら安上がりなのでは」と思ったはいいが、発売直後のクラスの盛り上がりについていけず、自分がやるころにはみんなプレイし終わっていて誰からも相手にされなかった時の悲しみの事を思い出して、流行っているゲームをやるべきなんではないでしょうか。モンハンとか。


そんじゃーね!
今日の一言:おごるなよ、自民党

1988年のオリコンチャートが面白い

(追記)タイトルをまなめ先生の紹介通りに変えました!先生ありがとうございます!!!!!今後は適当なタイトルを付ける事を現に慎み、「○○を○○するたったひとつの方法」などとはてなっぽいタイトルを付けることを心に誓います





音楽は死んだ!音楽業界は死んだ!と叫ばれてはや何年が経ったでしょうか。


21世紀に入りCDが売れなくなり、音楽配信は違法ダウンロード跋扈のせいでここ数年は落ち込み気味。ろくな楽曲が無くオリコンのランキングはAKBとジャニーズで独占。もう未来なんてあったもんじゃない!!!!


いやもうおっしゃる通りです。ぐうの音も出ません。



そんなわけで、パラパラと昔のオリコンチャートとかを見ていました。そしたらちょうど四半世紀前、1988年のオリコンチャートが面白かったので起こしました。

  1. パラダイス銀河(光GENJI) 87.4万枚
  2. ガラスの十代(光GENJI) 67.3万枚
  3. Diamondハリケーン光GENJI) 67.1万枚
  4. DAYBREAK(男闘呼組) 62.3万枚
  5. 乾杯(長渕剛) 52.1万枚
  6. MUGO・ん…色っぽい(工藤静香) 45.6万枚
  7. 剣の舞(光GENJI) 41.6万枚
  8. ANGEL(氷室京介) 37.5万枚
  9. 人魚姫Mermaid(中山美穂) 36.4万枚
  10. You were mine(久保田利伸) 33.1万枚

という事でした。ここからいくつか判る事がありますね。


その1:ジャニーズとおニャン子
光GENJI率のこの高さよ!そして男闘呼組。そして長渕剛の乾杯という、もう何世代も語り継がれるレベルの名曲を挟んでの工藤静香、そしてまた光GENJIですよ。
つまりですね、もう今も昔もちょっとほっとくとジャニーズだらけ、みたいな感じになってしまうわけなんですよ。


ここで面白いなと思ったのは、ジャニーズCDの売れた枚数です。
40万台:1曲
60万台:3曲
80万台:1曲
という構成になっており、60万枚台が中央値らへんになっている訳ですが、2012年の嵐のCD売上枚数を見てみると、
ワイルド アット ハート」 64.9万枚
「Face Down」 62.0万枚
「Your Eyes」 55.9万枚
となっており、50〜60万枚台が中心であります。


非常に似通っております。光GENJIの上位2曲は割と知名度高く他の層にも売れた事を考えると、CDを買うようなジャニーズファンの数というのは、50〜60万ぐらいで、ずっと一定で推移しているのではないかな?などと思う訳です。
(初期SMAPなんかも大体そのくらいのスマッシュヒットを飛ばしまくってたような気がするのですが、そのへんの検証は誰かしてください)



その2:ミリオンセラーがない!
パラダイス銀河で87万枚ですよ。ちなみにこの年は随分多い方で、前年の1987年の第1位は瀬川瑛子「命くれない」で42.2万枚、1986年は石井明美CHA-CHA-CHA」で53.0万枚です。1989年になるとプリンセスプリンセスが1,2フィニッシュをかますわけですが「Diamonds」で81.4万枚です。


(年間の)ミリオンヒットという意味では、1983年の大川栄策「さざんかの宿」の次が1990年のB.B.クイーンズ「踊るポンポコリン」なんですね。その翌年1991年にはいきなり小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(これカップリング曲だったんだよね)が250万枚の大ヒット、というのをはじめ7曲がミリオンセラーになり、90年代のCD馬鹿売れ時代に繋がるわけです。


そう考えるとさ〜。むしろ90年代のCDバカ売れ時代こそ異常であり時代のあだ花だったんじゃね?今ぐらいの売れ方のほうが正常なんじゃね?などとも思えてくる訳です。


とはいえ、一応売れてなかった話なんだから、そんな風に”売れてなかった”要因はなんでだろう?とか考えてみることにしましょう。なんとなく仮説は2つあって、

  • 丁度レコードからCDへの過渡期で、消費が抑制されたのかな〜

これはあるよね。レコードからCDに変わる時期だと、プレーヤーの普及率とかの影響をもろに受けるし、今まで集めてたレコードの事を考えると、流行ってるとはいえCDを買うのためらったりすると思うんだよね。その辺、当時の音楽消費の空気感とか誰かに聞いてみたいところ

  • やっぱり全体的に音楽が低調だったのかな??的な部分。

これは3つ目の気づきにつながるのですが、


その3:知ってる曲がすくねえ!
なお、私1980年生まれで一応当時生きてるはずなんですけどね。
上位2曲は知ってる(小学校でよく流れてた)、乾杯はもう言わずと知れた名曲、工藤静香はまぁサビぐらいは聞いた事ある。他はどんな曲なのか全く判りません!判りませんよ!

つまりですよ、後世に伝わる名曲=売れた曲なんかじゃないってことなんじゃないですか!(ドンドン!)

しかし、こう言ってはみたものの、じゃあランク11位以下でどれだけ知ってる曲があるかというと、、、
サザンオールスターズみんなのうた」、長渕剛「とんぼ」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」、渡辺美里「恋したっていいじゃない」、TM NETWORK「BEYOND THE TIME」「SEVEN DAYS WAR」とかそんくらいですよ。
いやね、僕が知らないだけかもしれませんけどね、そうやって考えると、この年には次の世代に伝わる曲の数が相対的に少なかったのかな〜、音楽は低調だったのかな〜?などと考えなくもない訳です。




以上まとめると、
1.ヒットチャートが低調になると大体ジャニーズ、アイドルで埋まる
2.ミリオンセラーが無い時代は結構長い
3.名曲が売れた曲とは限らない。あるいは年によっては後世に伝わる名曲が出にくい年もある



こんな感じでしょうか。
以上のように考えると、この1988年から四半世紀が過ぎた現在、音楽が死んだ!音楽業界が死んだ!なんて言ってるけど、
・後何年かしたら、新しい音楽鑑賞スタイルのもと、新しいヒット曲がバンバン出てくる
・ミリオンヒットという言葉は死んでも、みんなが知ってる曲は出てくる
・改めて、後世に伝わるような曲が掘り起こされる


みたいな事が近い将来にやってきそうな気がするんですけどね。我々音楽の消費者はそんな日が来るのを楽しみに待っておりますよ。

人間交差点レビュー第1話「ガラスの靴ははかない」

さて人間交差点レビュー第1話である。第1話といっても、この漫画正式に話数がカウントされている訳ではなく、各巻完結で話数がふられており、正確には「第1巻の第1話」である。まぁせっかくなので、このレビューでは通算何話でナンバリングしていこうかな、とはおもっているのだけれど。少なくとも何巻の何話、通算何話、というのはわかるようにしていきましょう。
あ、ここで言う巻数は、コミック版ね。つまりこのレビューはコミック版を底本としております、ということで。

では早速1話のあらすじから。大体こんな感じ。


恋人を殺した罪で服役中の松沢は、刑務所の医務室で妊娠5ヶ月である事を告げられる。あの憎らしい男の子供なら、あいつが死んだ後でも憎む事が出来るだろう、と憎むために出産することを決意するのだった。そして生まれた憎らしいあの男の子供を虐待する松沢。しかしそのあまりの有様に監察医から子育て能力なしと見なされ子供を引きはがされてしまう。そして月日は流れ出所の日、松沢が向かった先は・・・


というもの。


第1話からその特徴が出ているように、初期の人間交差点はやたらと監獄ものが多い。刑務所に居る人間というのは、たいてい何らかの犯罪を犯している人間であり、その理由を詰めて行くと、普通の状況では見えてこない人間の本性の部分が多く見えてくるから、とかなんだろうね。
そんなわけで早速監獄、かつ人殺しが登場しており、殺人シーンでの謎ポエムもしっかりあるので、1話にして人間交差点のエッセンス満載である。ただ、満載であるが故にいろんな方向にエッセンスが向いていて、中盤脂ののって来た頃のようにたった1点でぐっと絞ったりしていないのが、習作っぽい感じが出ていて、非常に第1話であるが故の迷いみたいのも感じられるので非常に良い。


物語のラストシーンの松沢の行動。あれが人間交差点の全てのテーマ(だと僕が勝手に思っている)である「愛する者が居て、一生懸命行きていれば、必ず何かいい事がある」だよな、と思う訳ですよ。やっぱりどんだけ憎んで憎んだ相手であっても、それよりも母親としての情愛というのは勝り、そういう根源的なところで正直に生きていくのが、きっと正解なんだろう。人生における正解なんてそう多くはないけど、「子供の事を愛する」というのはその数少ない正解の中の1つであることを、強烈に教えてくれる物語なのである。

大体50人ぐらい

いやね、クローズアップ現代を見たんですよ。私はこう見えて時代を先取るクールガイなので、最新流行ののコンテンツが満載であるクローズアップ現代(以下クロ現)を録画して時間のある時に見てるんですけどね。


そしたら「ネット動画投稿」で生活する人たち、みたいな特集やっててね。キャラ弁の作成過程とか、面白動物映像とかをYoutubeで流して、広告収入で丸儲け、的な人たちの話。それで「儲かるかと思って仕事を辞めたら全然アクセスのびなくて・・・!」みたいな人まで出て来て。


これだ!私もネットに演奏動画を上げて大もうけしようとか思ったり思わなかったりしましたけどね。そんなことはどうでもいいんですよ。そのクロ現の内容がツイッターとかでは結構突っ込まれていて、結局ネットの悪いところを出してるだけじゃねえか的な。


このテーマじゃなくても、大体クロ現でネット系の特集やると、ネットの住民達が「アレ違う」「これ違う」と大変うるさくなるんだけど、クロ現のターゲット視聴者は、そのテーマに詳しい人ではなくて、「そのテーマに詳しくないけど最新流行のコンテンツを追いかけたいクールガイ」の皆さんなんですよ。そういう人たちにいかにしてそのテーマについて過不足無く情報を伝えて30分番組として困らない体裁に仕立てるか、ということなんですよ。
つまり、詳しい人からの突っ込みは、そりゃあ何でも出るんですよ。だからネット系の特集だけ見て「ひどいミスリードだ!」って嘆いてる人は、他のテーマのクロ現も見たらいい。多分詳しくないから「それがひどいミスリードかどうかが判らない」と思うので。
それはそれでいいんですよ。ネタをスッと入るようにしてくれて、見た人がそのネタを各自で考える材料にしたらいいんですよ。それ書き脚気で詳しくなる人も居るかもしれないしね。


そんなこともどうでもいいんですよ。



その「ネットで動画投稿」について、解説の人が「これで生計を立てられている日本人は、多分数十人ぐらいでしょうねえ」という一言を発してたんですよ。


僕は、そうそう!これだ!と思いましたね。
というのも、僕の持論ですけど、何事でも大体「超一流」みたいな人って、そのジャンルで大体50人ぐらいだというものなんです。
流行ってる俳優でもぱっと名前が挙がるのってそのくらいだろうし、将棋の棋士でも、会社員でも、でかい会社の上から数十人なら食うに困らない。なんでもよ。


だから何だ!?というと、あんまり意味はないんですけど、要はそれくらいの希少性を持たないと食ってくのは難しいぞ!ということと、そのくらいの希少性を持つのはそんなに難しくもないんじゃないの?というこう矛盾した事を言いたい訳です。


大体、人間の属性なんて、3つぐらいたすき掛けしたらそのくらいの希少性になりますよ。ネット動画が好きで、キャラ弁を作れて、割とマメな性格で。みたいな。


そのへんを自分の属性でうまく組み合わせたら、そんな風にうまく食うに困らない希少性が自分にもあるんだ!なんてのがみつかったりしてね。


そんじゃーね!

林先生

インターネットの世界で林先生と言えば、「それはもしかして、貴方の空想上の存在なのではないでしょうか」なんですけど、今日ここで言及するのは「じゃあいつやるの?今でしょ!」のほうです。


なんかさ、あの先生が野球に詳しいって話題が出てたじゃないですか。
なんJ PRIDE : 【予備校】いつやるか?今でしょの林先生が結構野球通な件
http://blog.livedoor.jp/rock1963roll/archives/3694495.html


それはいいんですよ。野球好きはみんな友達ですよ仲間ですよ。野球楽しいよねえもう5-6年ぐらいやってないけど、見るだけでも楽しい。野球について人と話すのは楽しい。


よく、「政治と宗教と野球の話はするな」って言うじゃないですか。あれって何でなんだろうね?と常日頃から思うわけなんですがね。
僕なりの解釈では、この言葉が出た時代は、どちらかというとエキセントリックな球団ファンみたいな人たち、すごい偏見を持った言い方をすると、「昔ながらの阪神ファンとか巨人ファン」という、他球団は敵だ!みたいな頑なな考えを持ってる人たち同士が話をすると、ケンカになる、というあたりだったんじゃないかなぁ、と思います。

その意味で、まだそれなりの数、「ファンの球団を褒め、他球団をこけおろす」みたいなそれこそ”宗教戦争”に近い人もいるけど、そうじゃなくて、純粋に野球を楽しいスポーツとしてとらえて語り合える、という人もそれなりの数いて、そんな人たちとはどんどん野球の話をしたらいいんじゃないかなって思うんですよ。

だからね、あそこで禁忌とされている「野球」とは、野球をネタにした宗教戦争に近いところであるわけで、そうじゃなくて「楽しいスポーツとしての野球」の話だったらさ、そんな格言に従って萎縮するんじゃなくてもっともっと話しようよ!という事は言いたいわけです。

もうそんな、昔のようなコンテンツ力は無いんだからさ。ね、それはそれで野球を一スポーツとして、いい意味でとらえていこうよ。


そんなことはどうでもいいんですよ。


林先生のブログの記事
嬉しいオファー
http://ameblo.jp/itsuyaruka/entry-11470458241.html


なんと、メジャーリーグ番組のMCするとか!!!!

いいなー羨ましい!


そりゃあね、アレですよカリスマ予備校教師ですよ。
予備校教師は何がすごいって、受験生はみんな知ってるんだよ。受験生ってのは毎年大量生産されるので、知名度がどんどんあがっていく。

そういう下地があって、テレビCMで一気にブレイクして有名に、というのはそれはそれでよくある話だなぁと思うわけですよ。それは全然いいんです。

それが有名になって、野球好きである事が知れた瞬間に野球の仕事ですよ!!!!


これよ。


僕も有名になった時に野球のオファーが来るように、このブログで野球についての話をたくさんして知見をアピールしていきたい。


しかし野球の話は「上には上がいる」の最たるもので、いくら何を話しても「その程度の知識で・・ププ」と来る人が山のようにくるので、まぁそう言う事そのものよりも、やはり知名度で勝負したいですね!!!!日記だし!!!!!!!!!!!!

最近読んだ本 石黒正数「それでも町は廻っている」

いやーいつだっかの本屋オフでお勧めされてはや数年。今更読みましたよ。


※本屋オフとは
なんか本好きな人が集まって本屋に行き、オススメの本をその場で熱く語り、面白そうと思った人はその場で本を買うという大変物欲を刺激される危険なイベント。数年に一回ぐらい気まぐれで開催される。


非常に面白かったのですが(また女子高生が主人公の話か!とかそういうのは野暮ってもんですよ)、なんというか、この作者の人はどことなく変質者チックなものを感じるな、と直感的に思いました。(大変失礼)


なんというか、どこでそう思ったかというと
・日常系ほのぼの漫画なんだけど、なんか設定とか構成が異常に練り込まれる
・絵が女の子をかわいくかくというか、ほのぼの絵の中でどこまで下半身をさりげなくエロく描けるかみたいなところに全力投球してる節がある


こんなあたり。
異才、というのを感じました。

人間交差点全話レビュー#0 巻頭言〜美しい人生よ、限りない喜びよ

映画の「レ・ミゼラブル」を見て来たんですよ。物語はもうみなさんご存知の大古典。それがミュージカルになり数十年、満を持しての映画化というもの。
まぁ話は知ってるし、なんというかまぁミュージカルだなぁ〜。急に歌うよ!どころかずっと歌ってるよ!ささやきですらリズムに乗って、苦しむうめき声すらメロディに乗る。なんとまぁ。
それにしても「よくあるベタな展開!」である。まぁこの物語自体が数百年前の物なので、このベタさ加減が他の物語に受け継がれて行った!と考えるべきであろうよ。あ〜それにしても長いな、長いな、これ歌歌ってなかったら暗いし長いしとても見るのが辛い話だよな〜。はぁあ〜クライマックスも過ぎたしもうすぐやる事無くなって死ぬよな。うん。うん。えっあっあれえっ



からのラストシーンでまさかの大号泣。いやもう、自分でもびっくりするぐらい。滂沱の涙が止まらないわヒックヒックしゃくりあげるわでもうどうにも止まらん。
これはヤバイ嫁に見られたら大変だと慌てて裾で涙をぬぐっても止まらん物はとまらん。(後で聞いたら嫁はそんとき隣で大泣きしてる人がいて笑いを堪えるのに必死だったらしい)



とまぁそんな有様だったわけなんですよ。で、よくよく考えてみれば、この前に映画で大泣きしたのは「ライフ・イズ・ビューティフル」のラストシーンだし、その前は「素晴らしき哉、人生!」のラストシーンだし、さらにさかのぼれば「ハチ公物語」のラストシーンである。多分素晴らしき哉、人生はもう10回ぐらい見てるけど何度見ても元気が出る。ホント生きてるだけで素晴らしいよ。ホント。
つまりあれだ、この大きな人間讃歌(最後のは犬讃歌かもしれないが)の大団円、あるいは終末シーンにものすごく弱いみたいだ。人生を一生懸命やりきって、最後の最後に何かしらの形で救われる。結局そんな「生きているって素晴らしい」以上の物語なんて存在しないのだ。







さて、そんな文脈に沿った時に、僕が特に好きな漫画に「人間交差点」というものがあります。
これこそまさに1話完結の人間讃歌ですよ。よく人が死ぬ、年を取って人が死に、事故で人が死に、愛憎で人が死ぬ。
ただ、それ以上に人は生きていく。いろんな事がある、もう戻らない瞬間の大事な物を持ったまま。そんなちょっとした人間の生きていくための「情」みたいなものがそこにある。
まぁいいや、その辺の感想はさておき。


割と僕自身はそんなに「情」というものや、感情の機微を理解しない人生を歩んで来ていて、すぐシステマティックに「この面白さの要素は・・」みたいなことを考えたり、せっかちにも「要はポイントは3つあって」とか考えちゃうの。だから、一旦そういうのから離れて、思うがままに情に流され、それを感じたままを文章に残したりしようかな、というふうに思い至りました。そうして、人間の情をいろいろ考えて行くにつれて、あの涙が止まらない映画達の見方も変わってくるかもしれないな、と。


というわけで、人間交差点の全話レビューをやろうと思います。
もちろん今から二百数十のエントリーを連続で起こすつもりは無く、数回〜十数回に1回の不定期連載になるかと思いますが、やってみようと思います。
こういう「やり遂げなければいけないこと」をおいておけば、ブログをさぼったりしないんじゃないかな!という下心も少しありますけどね。


そんなわけで初回がいつになるか、がまだわからないけど、地道にやって行こうと思います。


このブログは、「人間交差点レビューブログ」です。